メジャー(日本プロ/日本オープン)大会複数回開催コース

歴史と伝統がある「日本プロゴルフ選手権大会」と「日本オープンゴルフ選手権競技」をあわせて2回以上開催した経験があるゴルフ場を調査しました。

メジャー大会を2回以上開催したゴルフ場|2025年分まで


開催回数5回以上
茨木カンツリー倶楽部大阪府9=36
東京ゴルフ倶楽部埼玉県8=0+8
廣野ゴルフ倶楽部兵庫県8=35
鷹之台カンツリー倶楽部千葉県5=1+4
鳴尾ゴルフ倶楽部兵庫県5=3+2
古賀ゴルフ・クラブ福岡県5=2+3
開催回数4回
セントラルゴルフクラブ 東コース
茨城県4=2+2
我孫子ゴルフ倶楽部千葉県4=3+1
霞ヶ関カンツリー倶楽部埼玉県4=0+4
相模カンツリー倶楽部神奈川県4=3+1
程ヶ谷カントリー倶楽部神奈川県4=1+3
開催回数3回
小樽カントリー倶楽部
北海道3=1+2
総武カントリークラブ 総武コース
千葉県3=2+1
日光カンツリー倶楽部栃木県3=1+2
武蔵カントリークラブ 豊岡コース埼玉県3=0+3
相模原ゴルフクラブ 東コース神奈川県3=0+3
日本ラインゴルフ倶楽部
岐阜県3=2+1
愛知カンツリー倶楽部 東山コース愛知県3=0+3
名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース愛知県3=2+1
四日市カンツリー倶楽部三重県3=1+2
宝塚ゴルフ倶楽部兵庫県3=2+1
開催回数2回
恵庭カントリー倶楽部
北海道2=2+0
大洗ゴルフ倶楽部茨城県2=1+1
千葉カントリークラブ 梅郷コース千葉県2=0+2
習志野カントリークラブ
千葉県2=1+1
紫カントリークラブ すみれコース千葉県2=1+1
藤沢カントリー倶楽部(閉鎖)神奈川県2=1+1
横浜カントリークラブ神奈川県2=0+2
烏山城カントリークラブ
栃木県2=2+0
川奈ホテルゴルフコース 富士コース
静岡県2=1+1
岐阜関カントリー倶楽部岐阜県2=1+1
春日井カントリークラブ
愛知県2=1+1
三好カントリー倶楽部愛知県2=1+1
琵琶湖カントリー倶楽部滋賀県2=0+2
六甲国際ゴルフ倶楽部 東コース兵庫県2=0+2
下関ゴルフ倶楽部山口県2=0+2
かねひで喜瀬カントリークラブ
沖縄県2=2+0

*合計=日本プロ開催回数+日本オープン開催回数
*青字の数字は開催回数上位5位までのゴルフ場。
*楽天GORAとじゃらんゴルフへのリンクが付いているゴルフ場は、記事更新時において、両方のサイトまたはどちらか一方のサイトで予約枠を確認したゴルフ場です。

都道府県別の開催回数ランキング


関東、関西、中部地方に集中しています。埼玉県が日本オープンばかり開催しているのが面白いです。

順位都道府県(開催ゴルフ場数)開催回数内訳(プロ+オープン)
1位千葉県(6188+10
兵庫県(4)188+10
3位埼玉県(3)15=0+15
神奈川(5)15=5+10
5位愛知県(4)10=4+6
6位大阪府(1)=3+6
7位茨城県(2)=3+3
8位北海道(2)=3+2
栃木県(2)=3+2
岐阜県(2)=3+2
福岡県(1)=2+3
12位三重県(1)=1+2
13位静岡県(1)=1+1
滋賀県(1)=0+2
山口県(1)=0+2
沖縄県(1)=2+0

*2回以上開催経験のあるゴルフ場のデータに基づいて作成しています。1回のみ開催経験のあるゴルフ場の開催回数は含まれていません

*関連|公式戦(日本女子プロ/日本女子オープン)複数回開催ゴルフ場|名門ゴルフ場プラス
*関連|都道府県別名門ゴルフ場をピックアップ|名門ゴルフ場プラス



日本プロゴルフ選手権大会 エピソード


日本プロゴルフ選手権大会(通称:日本プロ)は、1926年(大正15年)に始まった日本で最も歴史のあるプロゴルフトーナメントです。その歴史の中の興味深いエピソードを紹介します。

1.わずか「6人」の選手で始まった

今でこそ日本最高峰のビッグトーナメントですが、第1回大会(1926年)は、なんとたった6人のプロゴルファーでスタートしました。現在のような華やかな大会からは想像もつかない、非常にこぢんまりとした手作りの競技会だったのです。

2. かつては「マッチプレー」が主流だった

現在のゴルフ大会はスコアの合計を競う「ストロークプレー」が一般的ですが、実は第6回(1931年)から第28回(1960年)まで、長らく「マッチプレー方式」(1対1でホールごとの勝敗を競う)で争われていました。トーナメントというより、プロ同士の真剣勝負という側面が非常に強かった時代です。

3. 優勝しても「賞金がなかった」時代がある

第1回大会の優勝者である宮本留吉プロは、生前「賞金はなかったけど、純銀のカップをはめこんだ額が嬉しかった」と語っています。今では優勝賞金が3,000万円を超える大会ですが、当時は名誉こそがプロゴルファーにとっての最大の報酬だったようです。

ちなみに、日本で初めてプロゴルファーが誕生したのは1920年と言われていますが、その約6年後にはもうこうした選手権が始まっていたと思うと、当時の先人たちの熱意には驚かされます。


日本オープンゴルフ選手権競技 エピソード


「日本オープンゴルフ選手権競技」は、その名の通り「日本一のゴルファー」を決める、国内で最も格式高いナショナル・オープンです。歴史が長い分、驚くようなエピソードがたくさんあります。

1.記念すべき第1回大会は「アマチュア」が優勝した

1927年(昭和2年)の第1回大会、プロも参加する中で優勝したのは、なんとアマチュアの赤星六郎選手でした。当時のプロはまだ黎明期で、技術も発展途上。赤星選手はアメリカでゴルフを学んだエリートであり、当時のプロたちにとっては圧倒的な実力者でした。プロたちが「あの人が見に来ているだけで緊張する」と言うほどの存在で、結局2位に10打差をつける圧勝で初代王者に輝きました。

2.優勝しても「失格」になった悲劇

1960年大会では、信じられないようなドラマがありました。陳清波プロがトップでホールアウトし、優勝を確実にしていましたが、スコアカードの記入ミスが発覚。なんと優勝したはずのその場で失格になってしまったのです。優勝は2位だった小針春芳プロに転がり込みました。ゴルフにおいてルール遵守がいかに厳しいかを象徴する、語り継がれるエピソードです。

3.95年ぶりのアマチュア優勝の衝撃

第1回大会でアマチュアが勝って以来、長らくプロの独壇場でしたが、2022年に蝉川泰果選手が史上2人目となるアマチュア優勝を果たしました。しかも、単なる優勝ではなく「ツアー史上初のアマチュア2勝(日本オープン含む)」を達成し、そのままプロ転向した姿は、現代のゴルフ界における若手の台頭を象徴する衝撃的な出来事でした。
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